アバンダンスライフ研究室長のここきょんってどんな人?

はじめまして。

心の音を響かせると書いて、ここね きょうこといいます。

もちろん偽名です。ここきょんって呼んでください。

本名を隠したい訳でもなく、ここ「アバンダンスライフ研究所」では、素の自分をさらけ出したいのでそう名乗ることにしました。(本名だと差し障ることもあるのでー)

ようこそいらっしゃいました!

ここにきてくださったあなたは、もしかして

  • アラフィフ以降の一番楽しい年代に入ってるよ
  • 私も楽しみたいと思っているけどなかなか踏み出せない
  • ちがう自分になりたい。ここなら何かわかるかも?と思っている
  • これまでとは全く違う環境に身を置いてみたい
  • 同じような考え方を持っている仲間が欲しい

という方ですか?

「アバンダンスライフ研究所」は、私、ここねが心や脳について学びながら、自分を実験台にして感じたこと、気づいたことを共有していく場です。

自分自身を変化させていくことがとても好きなので、今も日々いろんなことを考えて、体験しております。

もはや趣味ですね笑

まずは、私、ここねきょうこが何者なのかについて語らせていただきますね。

少し長いかもです。ですがお付き合いいただけるとうれしいです。

今思えば生またときからちょっと変でした

私の一番古い記憶はたぶん保育園に通っていた時のこと。

私はお迎え後、母の働いていた保険会社のオフィスに置いておかれたのですが、その時の様々な考察です。

「母親は、支部長さんと話すとき妙にテンション上がるな…」

「支部長さんも事務員さんもクセ強いなぁ。あんまり好きなタイプじゃない」

とかそんな感じ。

今思えば、HSP&エンパス強めなのがこんなとこに出てますよね。

私は自分の家族のことも、「大切な家族よぉ!」という感覚はなくて、父親という役割の人、母親という役割の人、と言った風に「人」として見ています。

小さなときに、父や母や叱られても、「あ。今日は機嫌悪いんだ」としかとらえてませんでした。

一度それを学習すれば、その時はまずは適当に謝っておけば収まることがわかるので、おそらく両親から見たら、とても育てやすい子どもだったと思います。

そうなのです。私は基本、感情に乏しい、思考バリバリで生まれ落ちたらしいのです。

生きにくいまま成長。そして社会になじめず引きこもる

そんなだから、とにかく心が疲れる子供でした。

学校終わった後に誰かと遊ぶということもほぼなくて、家のすぐ近くにある低い山の中腹まで、一人で登ったりしてました。(今思えばそこでなにしてたんだろう???)

小学校時代に私にとって衝撃的な出来事があり、そこからとにかく人が怖くて。

『私は存在しているだけで誰かを不快にする』という信念を抱えていたので、とにかく生きるのがつらかったのです。

なので、結婚・出産を機に会社を辞められる!となり、「私は一生おうちで働くぞ」と今思えば謎の決意を固め、退職します。

その当時、世の中に「在宅で働く主婦」という考え方がポチポチ出始めたころで、「在宅ワーク」というう名前の本がやっと1冊出版されたころです。

私は、35万円もした(!)ノートパソコンを購入し、在宅で働くための行動を開始しました。

どうしてその時パソコン一択だったのか、いまでもわかりません。結果当たりだったので、先見の明があったのでしょうか(笑)

できるかできないかじゃなくて、まずやります! やりたいです! 頑張ります!と手を挙げて、そこから学ぶというスタイルでいろいろなスキルを身につけていったのでした(今思えばウルトラ無謀)。

それが良かったのか、タイミングが良かったのか、なぜか本当にいろいろんジャンルの仕事に出会い、気づけば何でもできるぞ、私。になっていました。

自分って何者なんだ?を教えてくれた娘との出会い

在宅で働いていたので、子どもが生まれてもあまり生活は変わりませんでした。

ところがですよ。

二番目の子が生まれたら…大変なことになりました。

上の子は一人遊びが好きだし、おなか一杯であればご機嫌さん♪でしたが、下の子は常に常に機嫌が悪いのです。

ずーーーっと寝ない。ずーーっと不機嫌。

正直、発狂しそうでした。寸前まで行ったと思います。

だけどいろいろあって、「この子が抱えている苦しみを取り除いてあげたい」って思うようになりました。

そこからです。

彼女の苦しみを取り除くためのなぞ解きが、すべて自分のなぞ解きだったと気づいたのは。

  • 眠りが浅すぎる問題
  • 不安障害に陥っていた事実
  • HSPという生き物らしい
  • 生まれつき脳内だけオトナな人がいる

そんな事実にたどり着いては、必要な事をしていくにつれ、私自身もかなり楽になったのです。

2番目の娘は、私に気づきを促すために使わされたのか?そんなことまで今は思います。

『身近に理解者がいたらこうなる』を見せられて外の世界へ

娘の苦しみを取り除く過程で自分も楽になっていって、娘とは何でも話せる、おそらく初めて理解し合える仲間ができたのです。

「頭の中がこうなっている話」「外の事象に関する考察話」「一般的な人の心の動き」みたいな傍から見たら「?」な話をいつもできて、私はとても楽しい日々を過ごせるようになりました。

娘が成長してきて、自分で物事を判断できるようになり、より自分らしく生きられる選択を自分でできるようになりました。

そんな姿を見て、「もう私の手はいらないのかも」と思ったのと、私も彼女のように、楽に生きてみたいと思うようになりました。

だんだんと彼女が私を考察し、分析するようになったある日のこと。

「こんなことを学びたいんだよね」と引きこもりなのに外に出たい欲求が湧いてきました。

それに対して娘は、「そろそろ冒険してみたらいいんじゃない?」と背中を押してくれました。

そこから「人の心」について突き詰めていく旅が始まりました。

タイプ診断から脳科学、スピまで学んで体験した結果

はじめに学び始めたのがタイプ診断。

資格まで取るまで学び倒し、人がどこかで分岐するのではなくて、根本から違うということを知りました。

だけど”何か”がわからなくて。そして、どこかに矛盾を感じました。

次が哲学系の講座。

そこでは、変化に必要なのは学ぶことではなくて、気づく事なのだと知り、世界は愛で満ちているってことに気づくことができました。

次に入ったのが心の世界。学ぶというより、感じる、自分を見つめるそんな世界でした。

そこでは、自分が心の奥―にある、この肉体で叶えたいことがあるということに気づくことができました。

さらに。がっつりスピリチュアルな世界にも身を置いてみました。それもまた気づきもあったし、楽しくもありました。

ついこの間は「潜在意識を使いこなす」という講座に入り、これまた大きな変化を体感しています。

他にも脳科学の本をたくさん読んだり、様々な講座やセミナーなどに所属し、日々自分を実験台にして、観察し続けています。

それらを通じて知ったのは。

とにかく「わかろうとしないこと」と「何が必要ということはない」ただ「気づきの瞬間を待つこと」が大切だということ。

それって簡単なようで難しい。

特に一人でやるのは、なかなか難しいなぁ、と。

だったら、私がこれまでの体験と知識を使って、最適なものだけピックアップして、最もその人に合ったルートを提案し、付き添ってあげたらどうなる?

それをするためにここ、「アバンダンスライフ研究所」を作りました。