あなたの身に
悲しいコト
とか
衝撃的なコト
が起きた時、なんてことだ! って絶望しちゃうことってありますよね。
そんな時、あなたはどうなっちゃいますか?
しばらく落ち込む?
それとも、過ぎたことは仕方がないって言いつつも、心にずっと引っかかったのを見ないふりする?
どれも間違いではないけれど、同じ出来事でも違う角度で見たら、あれっ!?って楽になるよ~ってお話聞きたいですか?
嫌なこと・ショックなことがあったときは感情を味わってみよう
まず、その時に感じてる感情をしっかり感じてみてください。
頭の中で、「これはこうだからこうなったんだ」とか「あの人があんなことしなければ」とかいろいろと思考をめぐらせるのではなくて、「いまここ」にある感情を味わいましょう。
どんな感情ですか?
怒りですか?
悲しみですか?
絶望ですか?
分析するのなら、そこです。
ああ。私はいまとても悲しいんだ。
怒ってるんだね。
つらいんだね。
感じることに正しいも間違いもなく。
確実にあなたの中に存在しているものです。
それをそのまま、受け止めて認めてしまってください。
それがあなた自身を大切にする、という事なのです。
出来事をそのまま受け取ってみよう
しっかり感情を味わえたら、次にしてほしいのが、あったことをそのまま捉えてみる、という事。
出来事をそのまま捉える、というのは、事実だけを取り出す、ということ。
事実というのは、誰の目から見ても同じ答えが出るような、表面に現れている事、です。
例えば、
—————
A子さんがお住まいのマンション内の集合ポストに郵便を取りに行ったとします。
そこに向かっているときに、そこに顔見知りの3人が楽しくおしゃべりしているのが見えました。
「ご挨拶しなきゃ」と思いながら近づいていくと、あなたがたどり着く寸前に、
「じゃ、またね~」と3人が去っていきました。
—————
これが誰の目から見ても同じ、そのままの事実になります。
でも、この時のA子さんには、きっと違う事実が作り出されていたはずです。
まったく同じはずのシーンが人によって違うものになる
A子さんの脳内では、
—————
マンション内の集合ポストに郵便を取りに行ったとき、
顔見知りの3人が、それまで楽しくおしゃべりしていたのに
私がたどり着くやいなや「じゃ、またね~」と慌てて去っていった。
きっと、私の悪口を言ってたんだ…
—————
という物語に書き換えられているのです。
もしかしたら、
その中の一人が、その会話に参加したくなくて帰りたいと思っていて、
話が途切れたタイミングがあって、チャンスだわ! って思った
のかもしれないし、
別れる直前に、その中の一人が何かを思い出して、
急いでいかなきゃならなかったのかもしれません。
端から見たら同じ映像なのに、捉える人によって、全然違う「事実」になるのです。
あなたにとっての事実は、ほぼあなたの思い込みによるものなのです。
それが良い方への思い込みによる事実であれば、ウェルカム!ですが、
自分で作り上げた「事実」で落ち込んだり、悩んだりしたら、もったいなくないですか?
事実を事実として切り離してみる、を習慣化してみましょう
推理ドラマなどを見ていると、聞き込みに行った刑事さんに対して、
「あの人、もともと胡散臭いと思ったのよ~」と話す近所の人、みたいなシーンを見かけますよね。
あれも同じですよね。
犯人だと思ったら急に胡散臭い気がしてくるし、
逆にその人が賞でも取ったってことになったら、
「頭よさそうな人だと思ってた」ってことになるのです。
つまりは、自分が受け止めてる事実って「自分劇場」なんだってことです。
登場人物がいればなおさら、真実なんてものはぜーーーったいに判明しません。
例えば、上記のパターンの三人に、「どうして私が行ったら解散したの?」と聞いて回ったところで、真実はわかりませんよね。
どうせ真実が分からないのだから、自分がどう感じたか?を味わう事と、実際に起きた出来事をとらえ直すことをしてみると、心が楽になりますよ~
やってみてね。